太宰治は、作品『思ひ出』の中で、幼い頃、女中のタケに寺に連れてこられ、その時にこの地獄絵を見たことを書いています。

(タケが)お寺へ度々連れて行つて、地獄極楽の御絵掛地を見せて説明した。(中略) 嘘を吐けば地獄へ行つてこのやうに鬼のために舌を抜かれるのだ、と聞かされたときには恐ろしくて泣き出した。
- 太宰治『思ひ出』

雲祥寺の地獄絵は、箱書に『十王曼荼羅 七軸』とあり、江戸時代初期から中期制作と伝わっています。

末法思想がはびこる平安時代、源信により『往生要集』が撰述されました。
六道輪廻といって、人は六つの世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)に生まれ変わるのですが、最終的にはこの六つの世界すべてから逃れるのが目標で、そのために念仏を唱えようという内容です。
特に地獄のことが詳しく書かれていて、以降、日本の地獄観の原点となっています。

そして、鎌倉時代には『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』略して『地蔵十王経』により、人は死後、十人の王に裁かれるという十王信仰が盛んになりました。往生要集や地蔵十王経などが合わさりながら、室町・江戸時代に『六道絵』『熊野観心十界曼荼羅』など、絵でわかりやすく地獄を表現した通称「地獄絵」がたくさん描かれるようになったのです。雲祥寺に伝わる『十王曼荼羅』もその一つです。


雲祥寺の地獄絵の特徴として「九相図(くそうず)」も一緒に載っていることがあげられます。各軸の上の方に亡くなってから骨になって消えるまでの醜い絵が描かれています。これは、不浄相とも呼ばれ、あえて醜く描かれているのです。死んだらみんな腐って朽ちて骨になる、こだわるな、無常だよ、という教えです。


第一幅、亡くなった人が「四季死出山」を通り、冥界へやってきます。そこにいるのが「葬頭河婆」と書かれている奪衣婆(だつえば)。
衣を剥いで、後ろにある衣領樹(えりょうじゅ)の枝にかけて、枝のしなりで罪の重さを計っています。


第二幅には「賽の河原」の絵があります。
親より先に死んだ子は、ここに来て父母のために石を積みます。石を積むことは仏塔を築くことになるからですが、いくら積んでも鬼が来て崩してしまうのです。雲祥寺の絵には鬼がいなくてよかったです。かわりにいるのは地蔵菩薩で、親の供養によって現れて「私を冥界の親だと思いなさい」と抱き上げて救ってくれます。


各軸の上の方に王がいます。初七日から三回忌までの間に亡くなった人を裁く十人の王です。本地〇〇何々王と書かれていますが、本地とは「本来の姿」「その正体」という意味です。
第五幅を見てみると「五七日 本地地蔵尊 閻魔大王」とあります。五七日(ごなのか)つまり死後三十五日目、地蔵菩薩を本体とする閻魔大王の裁きということです。

閻魔様の横には男女の頭が台に載っています。これは具生神といい、私たちが生まれてから死ぬまで寄り添っていて、すべての善い行い悪い行いを見ているので、それを閻魔様に報告するのです。すぐ下には「浄玻璃の鏡(じょうはりのかがみ)」があり、生前のすべての行いが映されます。また、「業の秤(ごうのはかり)」という天秤に載せられ、罪の重さを計られるので、閻魔様の裁きに漏れはありません。


第五幅の下の方に「目連尊者母対面」と書かれています。
これはお盆の起源のエピソードで『盂蘭盆経』に載っています。目連尊者は釈迦十大弟子の一人で、母親が地獄に堕ちたと知り、お釈迦様に相談すると、七月十五日に僧たちを労り、ご先祖の霊を供養しなさいと教えてもらいました。そのおかげで母を救うことができたというものです。


第七幅の「大施餓鬼(だいせがき)」は施食会(せじきえ)と呼ばれる法要を描いたもので、今ではお盆の前後やお盆と一緒に行われることが多いです。
三界萬霊(さんがいばんれい)すなわち欲界・色界・無色界というすべての世界のすべての霊を供養することで、すべての霊を救い、それが自身の徳にもなるというものです。
これは『仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経』が起源になっています。
ある夜、釈迦十大弟子の一人阿難(あなん)尊者のもとに餓鬼が現れて、「三日後にお前は餓鬼に堕ちる」と言います。三日?!しかしお釈迦様の教えにより、すべての餓鬼に供養を行うことで救われました。そして、阿難尊者はこの功徳により、長生きしたのです。


≪参考文献≫

『思い出』 太宰治
『往生要集』 中村元
『盂蘭盆経』 藤井正雄 
『地獄の解剖図鑑』大角修
『ようこそ地獄 奇妙な地獄』 星瑞穂 朝日選書
『地獄絵を旅する』 別冊太陽
『図説 地獄絵の世界』 小栗栖健治
『地獄絵』 ビジュアル選書 新人物往来社編
『描かれる地獄 語られる地獄』 田村正彦